『シャヒード、100の命―パレスチナで生きて死ぬこと』
『シャヒード、100の命―パレスチナで生きて死ぬこと』は2003年8月1日から10月19日まで、東京、京都、沖縄、松本、大阪の5都市を巡回して開催された展覧会で、自由国際大学からは、大榎淳、田島和子、針生一郎、守谷訓光、八鍬瑞子が実行委員会に参加しました。展覧会、シンポジウム、カタログなどの詳細については、『シャヒード、100の命―パレスチナで生きて死ぬこと』展のウェブサイト(http://www.shaheed.jp/)がありますので、そちらをご覧ください。ここでは、準備段階で作成した企画内容についての簡単な説明文を掲載しておきます。
[企画意図]
パレスチナとイスラエルで続く衝突は、マスメディアの影響からか、パレスチナ過激派による自爆テロとイスラエル軍のそれへの報復という構図でのみ語られる傾向がないだろうか。また、犠牲者の数が日々伝えられはするが、犠牲となった人たち、それぞれがどういう人であり、どんな生活を送っていたのかは伝えられることが少ない。そもそも私たちは、パレスチナについて何を知っているだろうか。
“100 SHAHEED-100 LIVES”(「100人の受難者と100の人生」)展で人々が追悼するのは、アル‐アクサ・インティファーダで犠牲となった最初の100人であるが、その後も犠牲者は増え続けている。残された人々は、家族や友人を失った悲しみや喪失感、安全に対する不安、経済的困窮、住居や建物の破壊、外出禁止、失業、さまざまな形の困難に直面している。けれども、そうした困難な状況下にあっても、人々は日々の生活を続けなければならないし、彼らが作り出す文化はそこに存在し続けているのだ。
“100 SHAHEED-100 LIVES”展の日本での開催を通して、犠牲になった人々を追悼するとともに、パレスチナに生きる人々の芸術・文化の実際を日本の人たちが知るきっかけとしたい。遠回りといわれるかもしれないが、パレスチナの地に平和が早く訪れるように。
[作品展示]
“100 SHAHEED-100 LIVES”(「100人の受難者と100の人生」)展は、2000年9月に始まったアル‐アクサ・インティファーダにおける最初の犠牲者100人の追悼展であり、その家族のもとに思い出の品として残された、それぞれの肖像写真100点と持ち物100点で構成される。
100人の受難者の、ある者は少年であり、ある者は父親であり、あるいは老人であり、女性であり、住んでいた場所も広範にわたる。また、家族から提供された生前の品々も、子供用の自転車やサッカーボール、ステレオヘッドホーン、ショールやサングラス、小石を飛ばす手製のパチンコであったりとさまざまだが、そうした日常使われていた品々のそれぞれが、透明なプラスチック・ケースに収められ、名前と、祭日、卒業、結婚式などまた生前のさまざまな機会に映された写真とともに展示される。
写真は、展覧会全体の統一を保つために白黒に変更され、またカタログではセピア色にかえられてはいるが、その写真に映された人々と遺品の多様性と日常性は、ただその受難者たちを思い出として追悼するだけでなく、後に残された人々の今をも映し出している。
展覧会は、2001年2月にハリール・サカーキーニー文化センターで最初に行われ、パレスチナ自治区内では、イスラエル軍の侵攻により、残念ながらナブルスとナザレでしか開催されなかったが、その後2001年にはアブダビ、アンマン、バーレーン、2002年3月からドバイ、シャールジャ、6月にはベイルートで開かれ、多くの観衆を集めた。本展のほか、カナダ、オーストラリアでの開催も予定されている。
尚、展覧会の途中で「サイモン・ウィーゼンタール・センター」から助成団体や助成団体を運営する企業に、また「イスラエル大使館」からは展覧会会場となっていた美術館、博物館、公民館に抗議がありましたが、その抗議が不当なことは、展覧会のウェブサイトやカタログを見てもらえれば明らかでしょう。
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