Free International University Japan 6/10/2001
* このジイさんの生き方はなんだ!? アナーキズム、山谷、絵とパフォーマンス!!
* ミーティングのお知らせ
* 会計報告
* 前回のミーティングの報告
* NAM(New Associationist Movement)
このジイさんの生き方はなんだ!? アナーキズム、山谷、絵とパフォーマンス!!
黒田オサムさんの古希を祝う会は上のように正式な名称も決まり、チラシ、チケットができてきました。チラシ裏面の内容紹介に映画「山谷-やられたらやりかえせ」上映委員会有志によるプロモーション映画の上映が製作日程の都合で入りませんでしたが、上映はあります。
日にち、会場など、詳細は郵送するチラシを見てください。チケットの購入は、守谷までEメール、ファクス、電話などでお願いします。郵便振替の用紙と一緒に郵送します。祝いの会ですので、当日来られるかどうか分からないという人もチケットを買って、赤字にならないよう協力していただけると助かります。
ミーティングのお知らせ
前回用意したレジュメではごちゃごちゃと面倒に書いてありますが、短く言えば、人間の創造力から出発して、とりあえずは参加する人の創造力ということになりますが、社会彫刻に向けてもう一度話をしていこうということです。レジュメについての意見、また取り上げたいテーマなどあれば追加してもらえるといいのですが、この間の話の流れから言えば、今回は「パブリック」をテーマにするのが適当なように思います。どうしてパブリックをつくってこられなかったのか、あるいは今どうパブリックをつくっていくことができるのかとか、FIUの活動のあり方にも大いに関係していることですし、私たちだけで十分話をしていくことができるテーマではないかと思うのですが、どうでしょうか。
日時=6月10日(日) 午後6時30分~9時30分
会場=神宮前区民会館会議室1(渋谷区神宮前6-10-14 Tel.03-3409-4565 JR原宿駅下車 徒歩6分 営団地下鉄明治神宮前駅下車徒歩3分)
参加費=1,000円
会計報告
5月の収支です。
収入
参加費=4,000(円)
計=4,000(円)
支出
会場費=2,200(円)
通信費=6,560(円)
紙代=525(円)
封筒代=294(円)
お茶代=312(円)
計=9,891(円)
前回のミーティングの報告
参加者は4人と少なかったのですが、守谷の用意したレジュメを話のきっかけにして、民主主義の話になりました。思い出して書いているので、言葉通りではありませんが、こんな話が出ました。
「大学でNPOについて教えている人がテレビに出ているのを見たが、その人なんかは若い人にしか期待しないと言っている」(三笠)
「ベトナム戦争や湾岸戦争の後、戦争後遺症になる兵士が多く出てアメリカでは社会問題となったが、太平洋戦争後の日本では、戦争での加害者としての体験は表に出てこなかった。日本人は精神科にかかることを避け、アメリカではそうでないこともあるが、天皇や国家のためという以前に、生き残るために相手を殺さなければならなかった『動物的なエゴイズム』は、敗戦後も天皇制が温存されることで生き続け、経済復興、高度経済成長の原動力となり、またバブル崩壊後、経済がうまくいかなくなると、今度は犯罪として噴出してきた。そうした社会と体制に対抗し、下からのパブリックをつくろうと努力してきたが、欲望を作り出すことで進む資本主義の圧倒的な力にやられて、うまくいっていない」(針生)
「光州ビエンナーレの『芸術と人権』セクションの展示を、千葉成夫から『メッセージ主義だ、自分はもっと表現を重視する』と批判され、それには『メッセージは表現と同時に成立するんだ』と反論を書いたが、今度は『LR』に若い美術ジャーナリストが『丸木夫妻の南京大虐殺の図は、殺されている人数が多すぎる』とか、『北朝鮮の日本人拉致疑惑を取り上げた作品がないのはおかしい』とか、自分で調べもしないで書いて、その反論を書けと編集部に言われて書いた」(針生)
「若い人にあるのは欲望だけで、まったく期待していない」(針生)
「パレスチナの美術家と二人展で世界各地を回ることを考えている。レクチャーなどと組み合わて、パレスチナ問題についての関心を喚起することができる」(八鍬)
「まず資金作りを考えるべきだ。いろいろな市民グループを見てきたが、資金のないところはどこもうまくいっていない」(三笠)
「年に5万ぐらいでやっているので、今考えなくてもいい」(守谷)
地域通貨についての話は前から出ていることもあり、テーマに取り上げることに、大浦信行さんの映画の上映の話は、話す時間がなく保留になりました。
参加者(敬称略):針生一郎、三笠欽、守谷訓光、八鍬瑞子
前回ミーティング用のレジュメ
はじめに
日本経済新聞は、2001年1月1日付け朝刊一面の技術創世紀と題した連載記事の第一回で、「今年の夏ごろには(クローン人間の)第1号を世に送り出せるでしょう」というカナダの新興宗教「ラエリアン・ムーブメント」の科学責任者の発言を掲載した。医療過誤により生後10カ月で亡くなった子供と同じ遺伝子を持つ胎児が2月以降、代理母のおなかの中で育ちはじめるという。4年前のクローン羊ドリーの誕生の時からすでにその技術の人間への適用は予想されたことだが、実際にクローン人間が誕生すると聞くと、愕然としないだろうか。神が、聖書に書かれているように自身の似姿として人間を創造したとは思わないが、人間の創造力はついにここまできたかと。
ナムジュン・パイクが、1980年代に「アーティストを遺伝子工学に関わらせるべきではない、きっととんでもないものをつくり出すから」というふうに発言していたのを今も覚えている。確かに芸術家が遺伝子工学を駆使した生物のデザインに加わり、自身の内面をフォルムに変えるとしたら末恐ろしいが、それ以前にクローン人間の誕生は人間の精神、思想、宗教に計り知れない影響を与え、その影響は現在のアーティストが作り出す作品のそれとは比較にならないほど大きいだろう。その大きさだけを考えるなら、「芸術」をつくっているのは、遺伝子産業に従事している人々のほうだとさえ思える。
芸術は近代以降、美の領域を扱うものとして限定され、人間の精神の自由と創造性の旗印としてその存在を示してきた。芸術家は印刷物、写真、映画、レコード、テレビなど新しいメディアの台頭に対抗し、またそれを受容しながらも、芸術というその領土の中から、常により新しいイメージと豊かな精神性を人々に提示してきた。デザイン、思想、建築、ファッション、広告、エンタテインメント産業などさまざまな分野の仕事にインスピレ-ションを与え、素材を提供し、またアーティストからは嫌われるのを承知で言うが、東西の冷戦の時代には、西側文化の一端としてその自由さと創造力の高さを物質的豊かさとともに誇示するために使われ、また、バブル期には投機の対象の1つともなった。芸術の王国は、政治や産業から決して隔絶されたものではなく、政治や産業の領土の中にひとつの自律した装置として取り込まれてもいるのだ。
クローン技術の人間への適用を禁止する法律を持つ国は、1月の時点では、ドイツ、日本など世界で4カ国。アメリカではそうした研究に政府の補助金を使うことはなく、また業界自体も自主規制していた状態だったが、最近禁止法案が出されたという。日本では、この6月からその技術の人間への適用を禁止する法律が施行されるが、最初に挙げたものとは別の、イタリア人医師を中心とした不妊治療の延長としての計画に日本人夫妻も参加することが報道され、それに対して「倫理上好ましくない」と当時の森首相はコメントしている。技術上の問題もまだあるようだが、ここで問題なのは、やはり倫理上のことのようだ。だが、不妊に悩む夫妻の子供を持ちたいという欲求、あるいは事故や犯罪の犠牲となってなくなった人と同じ遺伝子をもった人が欲しいという遺族の、さらには、そうでなくても、これは狂信的かもしれないが、自分と同じ遺伝子、ほぼ同じ肉体をこの地上に残したいという個人の欲求を、果たして規制することができるのだろうか。計画の推進には、研究者の学問上の探究心だけでなく、名誉心、自己顕示、金銭欲が働いているのは間違いないだろうが、一方に需要があることも見過ごすことはできない。
ところで、ここに見られるクローン人間を生み出すことへの禁止、あるいは自主規制の動きは、芸術作品への検閲、制作・発表の過程での自主規制とどう違うのだろうか。さらにクローン人間を誕生させる動機と、芸術作品を生み出す動機との間に違いはあるのだろうか。芸術家は芸術家だから作品をつくり、クローン技術の研究者はクローン人間をつくる。芸術家が「私は私の内面を1つの形に表したい、どんな作品をつくろうと他の誰かに迷惑をかけるわけではないし、作品を発表することを通して、人びとに問題を投げかけているのだ」と言ったところで、クローン人間の研究者や計画への参加者も同じようなことを言うだろう。アーティストがつくっているものはしょせんイメージや物であって、遺伝子工学のように生き物を作っているのとはわけが違うと言うかもしれないが、結局、違いは人間を作るか、そうでないものを作るかという(この違いは非常に大きいものだが)違いでしかないのではないだろうか。専門分野や規模も確かに違うが、アーティストも遺伝子工学の従事者も、あるいはほかのすべての産業の従事者も、同じ法則、同じシステムで動いてはいないだろうか。
20世紀に生まれた多くの科学上の発見、発明は、人々の生活と意識のあり方を大きく変えてきた。軍事兵器、原子力、コンピュータ、宇宙開発、映画、テレビ、ヴィデオ、インターネット、医療技術、化学製品、車、航空機、電話等々、ここではその影響のそれぞれについて触れないが、私たちはそこから多くの利便性を得、神のような全知全能とはいかないにせよ、その力と感覚を拡大したいという欲求を充足させてきた。太古には女神たちの仕事だったらしい芸術も、かなり以前から人間の仕事だ。果たしてクローン人間は、人間の自由と創造性が生み出す必要悪/善なのだろうか。また昨今、プロジェクト仕立ての作品を見かけるが、現代の技術が生み出す製品とその影響に対抗しうる新しい芸術の可能性を、アーティストはそこに見出そうとでもしているのだろうか。
現在の創造性についてさまざまな形で考え、社会彫刻への道を探っていきたい。
テーマと方向性
上に書いたことから分かるように、創造性といってもこれまでの芸術を取り上げるわけではない。対象とするのは、社会、経済に働きかけていく創造力で、この意味ではいわゆる芸術活動の中にも対象となるものはあるだろうが、それについてディスカッション、リサーチ、レクチャーなどを通して検討していきたい。その際、それを単なる話に終わらせず、目に見える形に表現、発表し、私たちと人々の意識を変えていくことに役立てていきたい。考えているテーマを下に列挙するが、民主主義と友愛、そして自主・自立に関するものが中心となっていることが分かると思う。
戦後の民主主義、あるいは民主主義教育について
地域通貨
貧困、あるいは貧乏人の文化
反グローバリズム
オープンソースと知的財産権
メディア・リテラシー
ヨーゼフ・ボイス・ゼミナールの通常の形での出版、あるいは電子出版
NAM(New Associationist Movement)
柄谷行人が提唱するNAM(New Associationist Movement)が動き出しています。「消費者としての労働者」の運動として、その中心に地域通貨(LETS)をおいており、近いうちにテーマとして取り上げる地域通貨のことを考える際、参考になるだろうと思います。Web-siteはURL=http://www.nam21.org/~center-web/。また、柄谷行人編著『NAM原理』(太田出版、1,200円+税)、河邑厚徳+グループ現代著『エンデの遺言-根源からお金を問うこと』(NHK出版、1,500円+税)も時間があったら、読んでみてください。
(守谷)
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