Free International University Japan 8/26/2007
* ミーティングのお知らせ(『HomeRun Factory夏の大バーゲン』もあります)
* 連絡先変更のお知らせ
* 前回ミーティングの報告
ミーティングのお知らせ
小倉利丸さんを招いての集まりからしばらく間が開いてしまいましたが、「マルチチュード」のシリーズもますます佳境に入ってきました。第5弾は『アウトノミアからマルチチュードへ』と題して、粉川哲夫さんとともに秋葉原の〈HomeRun Factory〉からライブ・ストリーミングです。
〈HomeRun Factory〉については以前にお披露目のビデオ展を開いたことをお伝えしましたが、自由ラジオ局〈下北沢ラジオホームラン〉と横浜馬車道のアトリエマンション〈北仲プロジェクト〉に関わったアーティスト/アクティビストたちによって運営されているミクロなスペースです。今回は『HomeRun Factory夏の大バーゲン』と題して、大榎淳さん、大谷安宏さん、佐藤咲希さん、渡邉裕之さんなどメンバーの著作・作品を集めた冷やかし大歓迎のバーゲンセール兼パーティを開催。販売されるのは、CD、Tシャツ、バッグ、本、カタログなどなど、中には、まぼろしの〈下北沢ラジオホームラン〉の音源も!? 自由国際大学のミーティングの後、引き続きバーゲンセール&パーティにもご参加ください。
ライブ・ストリーミングは、http://www.radiohomerun.com からアクセスを(Skypecastを利用する予定。要事前チェック)。催しの案内、会場の地図も同サイトにあります。
HomeRun Factory 夏の大バーゲン
日時=8月26日(日)午後3時~6時:自由国際大学、ゲスト:粉川哲夫さん(メディア論、ラジオ・アーティスト、http://anarchy.k2.tku.ac.jp/ )、午後6時~8時:HomeRun Factory夏の大バーゲン
会場=秋葉原 HomeRun Factory(東京都千代田区神田佐久間河岸70 第2田中ビル59号、JR秋葉原駅昭和通口より徒歩2分、地下鉄日比谷線秋葉原駅4番出口より徒歩4分。休日のため建物の玄関が施錠されています。秋葉原駅か第2田中ビルの前から大榎または守谷に電話をお願いします)
問い合わせ=Tel.090-8559-6203(大榎)またはTel.090-9301-4881(守谷)
連絡先変更のお知らせ
自由国際大学の連絡先が変わりました。住所録、アドレス帳などご変更ください。新しい住所、電話・ファックス番号は下の通り。Eメールアドレス、URLはこれまで通りです。
180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町4-22-15-207 守谷方
Tel./Fax. 0422-21-7525
前回ミーティングの報告
小倉利丸さんが『世界社会フォーラム』の歴史と現状、問題点、ナイロビで開かれた今年の世界社会フォーラムの模様などなど、話してくれました。“マルチチュード”の現在を具体的に聞くことができたように思います。今回は録音の最初の部分を起こしたので、いつものような箇条書きではなく、そのまま載せて報告に代えたいと思います。
小倉 世界社会フォーラムというものにここのところ関わっているんですけれども、今のグローバリゼーションを巡る反対運動であるとか、いろいろな運動の状況というところも含めて議論できた方がいいかなと思って、いくつか映像的なものも持ってきましたので、それをまた後、見ながら話をしていけたらと思います。その前に大榎さんから話のあった世界社会フォーラムの話をまずちょっとして、マルチチュードについてはいろいろその流れで話ができるんじゃないかと思いますけど、世界社会フォーラムというのは2001年に始まったかなり大掛かりなイベント、イベントと言うとほんとはまずいんですけど、いわゆるグローバリゼーションに反対する民衆運動です。
もともと世界社会フォーラムというものを始めるきっかけになったのが、1999年にシアトルで世界貿易機関(WTO)の閣僚会議があった時に、アメリカだけではなく、世界中というのはちょっと大げさですけども、各国から活動家が集まって、5万人ぐらいの人たちが集まって、閣僚会議を事実上潰してしまったという、かなり大きな抗議行動があったんですね。その1999年の抗議行動が1つの直接のきっかけとなって、そこに集まった人たちなどから、どうやって今のグローバル化に対抗できるような運動がつくれるかということを国境を越えて人々が集まって運動をつくっていく場が必要なんじゃないかということで、特にターゲットにされたのが、さまざまな国際的なグローバリゼーションを促進する機関や制度があるわけですけれども、その中でも政府と多国籍企業が集まって、いわば密室ではないけれども、内輪、内輪というほど小規模でもないんですけれども、グローバリゼーションを促進する会議というのを毎年1月にスイスのダボスでやっているんですね。これを世界経済フォーラムといって、これはもうかなり長い間、もう20年くらいやっていると思いますけれども、その世界経済フォーラムというグローバリゼーションを推進する政府や企業の人たちが集まる会議にちょうどぶつける形で、南の国で始めようということで、2001年の1月に、1月だからまだ9.11が起きる前ですけれども、1月に初めてブラジルのポルトアレグレという所で世界社会フォーラム、世界経済フォーラムに対する対抗として世界社会フォーラムというのを始めたというのが最初のきっかけになります。その時にブラジルの労働運動であるとか、社会運動であるとかさまざまな運動が、1つの緩やかなネットワークをつくって、多くの人たちが集まれるような枠組みをつくって今の新自由主義的なグローバリゼーションにどうやって反対していったらいいのかという議論をやっていこうという、そういう集まりをつくったわけです。
その集まりの1つの大きな特徴は、国際会議というのは今までもたくさんあったわけだし、国際的な連帯運動というのもたくさんあったわけですけれども、世界社会フォーラムの特徴というのは、主催者は場所を提供すると。もちろん主催者主催の大きなイベントをいくつかやるわけですけれども、それ以外に何百という数のワークショップであるとかセミナーであるとかそういうものができるような場所を提供するという。その場所をどう使うかというのは参加者が自分たちで考えてほしいというやり方なので、基本的には場所を提供するというのが主催者の運動の基本なんですね。で、何でそうなったかというと、かつての冷戦時代のいわゆる国際共産主義運動に象徴されるような、ある国際的運動の司令部であるとか前衛党があって、労働運動を中心にして運動全体を組み立てるというような運動の組み立て方はもうできなくなって、それこそ環境の問題であるとか、それからジェンダーの問題であるとかさまざまな問題があって、それらさまざまな問題にいろいろなスタンスで取り組む人たちがいる、それを何か1つのイデオロギーや価値観でまとめていくということではなくて、それぞれの運動が今抱えている問題を日常的には議論できない国際的な場で議論できるようなそういうスペースをつくっていこうというのでそれで始まったものなわけです。
というわけなので、そもそも主催者側主催のもの以外にかなりの数の参加者が自分で企画を立てて行うワークショップ、セミナーがあるというので、2001年に始まって、最初に集まった時には多分1万何千人とかで、ラテンアメリカ中心の人たちだったんですけれども、それが年々増えていって、3回目、4回目ぐらいまではブラジルのポルトアレグレで毎回やっていたと思いますけれども、倍々ゲームで参加者が増えて、それで3回目ぐらいには参加者が10万人を超えるぐらいになってきたということになります。それで年1回集まって議論するわけですけれども、2003年にイラク戦争が始まりそうだという時には、イラク戦争を阻止するための国際的な反戦運動をどうつくるかというような、国際的な戦略会議がそこで持たれたりして、それはかなり上手くいって、イラク開戦に合わせて世界同時に反戦運動が取り組めるようになったその前提となる作戦会議がずいぶんそこで行われたりした、というような、そうした動きが世界社会フォーラムなんですね。
10万人も集まる会議を、毎年10万人も集まってとんでもなく大変なので、主催者もかなり負担が大きい会議なので、ある時期からそんなに毎年集まって同じ場所でやるのもどうかという議論も出てきて、それでその後5大陸を巡回するような形でもってフォーラムをやろうという議論が出て、そして2005年にインドのムンバイで、世界社会フォーラムが初めてポルトアレグレ以外のところで行われました。インドのムンバイでやった時も、これは1年ぐらい前からいろいろと準備があったんだけれども、インドというのはなかなか大変な所で、労働運動や社会運動、いろいろあるんですけれども、たとえば共産党が複数ある。議会内に2つ共産党があって、議会外にいわゆる毛沢東派の共産党がいる。共産党だけでも3つぐらいあって、それにあと左派がいるし、それからいわゆる進歩派というとあれですけれども、ヒンドゥー原理主義であるとかに対しても闘うようなグループというのはNGOも含めてさまざまあって、1つにまとまるというのはなかなか難しいだろうと。で、まとまれないんであれば世界社会フォーラムなんかできないんじゃないかという意見があったんですが、最終的には毛沢東派の議会外の共産党は参加しませんでしたけれども、それ以外の左派の勢力とNGOはまとまって、一応成功したと言われますけれども、10万人ぐらい集まってインドのムンバイでやれたわけです。
その後、その翌年、その翌年というのは昨年ですけれども、昨年は分散開催をやりたいということで、同じ1月だけれども3大陸で別々にやって、ラテンアメリカがベネズエラ、チャべス政権のベネズエラでやった。これはチャべス政権が反米政権なので、世界社会フォーラムを国策として呼び込んだみたいなところがあって、これもいろいろ議論がその後出てきますけれども、かなり良い待遇で行われたことになります。もう1つがアフリカのマリのバマコでアフリカの社会フォーラムというのをやって、それからもう1つがパキスタンのカラチです。パキスタンで1月にやるつもりだったんだけれども、その前にパキスタンは大地震があったりして、それで3月に延期になって一応パキスタンでやりました。
僕は今まで出たのは、2005年のムンバイとポルトアレグレとその後のカラチには行って、今度のナイロビも行ってきたんですけれども、ナイロビはアフリカでやるということでナイロビになって、来年はさらに分散開催をしようということで、どこかで何か所かでやるということではなくて、さらにもっと同時多発的に分散的に、小さい規模だけれどもかなり多くの地域でやろうというのが今のところの思わくということになっています。
で、世界社会フォーラム自身は、そういう形で進んできていますけれども、実は世界社会フォーラムは最初からかなり大きな問題を抱えていて、基本的には多様性を尊重するということでいろんな運動体、いろんなグループが集まるわけですね。そうすると伝統的な左翼や伝統的な労働運動のグループから最近流行のNGOまでいろんな人たちが来るし、来れる枠組みが一応はできている。基本的な合意事項としては新自由主義に反対するということと、それから多様性を尊重するということと、それからいわゆる軍事組織はいれない、それから政治団体、政党は代表は送れない。個人として参加するのはいいけれども、代表として参加することはできない、といったいくつかのルールがあります。
その中で最初から問題になったのは、新自由主義に反対するのはいいとして、新自由主義に反対するけれども、資本主義に賛成するというのはどうなのかというのは前々から議論としてあるわけですね。これは左派は新自由主義に反対すること=資本主義に反対するということでそこはストレートにつながるんですが、NGOなんかはそうはつながらないので、たとえば貧困問題であるとか、第3世界の児童労働の問題であるとか、AIDSの問題であるとか、そういう個別の問題に取り組んでいるNGOなんかは新自由主義の結果として出てくるさまざまな貧困の問題の解決というのには関心があるけれども、社会体制や社会システム全体を変えるということについてはあまり関心がない、というよりは、そこは自分たちの主要な課題ではないと。だから目の前に国連があれば交渉するし、世界銀行があれば交渉するし、交渉相手として世界銀行やWTOと付き合うというやり方をするところがかなり多いわけです。日本のNGOというか、国際的な開発関係のNGOはそういうスタンスになるんで、いわゆる粉砕路線がない、古い言い方で言えばね。そこのところは曖昧にしながらずっと進んできた結果として、非常に多様性があって幅が広いんだけれども、世界社会フォーラム自身が何を目指すのかというのが曖昧になってしまっているのが現状です。……
参加者=上岡誠二、大榎淳、小倉利丸、黒田オサム、重岡依里、針生一郎、守谷訓光(敬称略)
ページ先頭へ